決めるのは「人の心」 ~企業経営と写真の共通点~

昨夜は神楽坂で「道具としてのファイナンス」の著者であり、経営コンサルタントや中央大学専門職大学院の非常勤講師もやっている石野さんと会食でした。久しぶりにお会いしましたが、いささか私とは違う次元に行ってしまっていて逆にお時間割いて頂いて恐縮でした。

それでいろいろとお話をさせて頂いている中で企業経営と写真の共通点が多いなぁ、と思ったわけです。私の事業ドメインが「写真」だからそう感じただけかも知れませんが、私なりの一応の解釈を少しだけご紹介。

●答えを求めない。

以前から「世の中に答えなんてないんですよー」ということをたびたび書いていますが、昨夜石野さんと話していてその辺を確信しました。企業活動における投資判断やあらゆる意思決定において「基準」を作ることはできてもそんなものは会社ごとに異なるし、それらのデータを集めて平均化したところでそれが「答え」ではない、ということ。

これを「写真」に置き換えると「あの写真が良い」とか「この写真が良い」と言ったところでそんなの時勢や流行次第でコロコロ変わる。昔の写真が「古くさく見える」のはその時代に合った写真であって「今の写真」ではないからです。企業経営も写真も時勢や個々の状況に依存したりと評価すべきポイントなんてその時々の状況で変わる。

一方、日本の教育に原因があるのでは?という話にもなり、日本の教育には必ず「答え」があるわけで、「答え」がないと安心しない人が増えた原因だろう、ということ。結果的に「答え」を誰かに依存してしまうから「自称占い師」みたいな連中が横行してしまう。

そして退化した能力が「考える能力」。敢えて言うなら常に状況に応じて考え続けるしかない、というのが「答え」ということでもある。

「答えを求めること」を否定はしないし、それが「考えること」だけど固執し過ぎると逆に辛くなると思います。

●決めるのは人の心

結局のところ意思決定の基準を決めたところで企業経営においてはトップ(経営者)が「No!」と言ってしまえばその意思決定基準なんてあってないようなものである。それではその経営者がなぜ「No!」と言ったかというと、そんなのその経営者の基準でしかなく、すなわちそれは「心」ということになる。

私も意思決定するときに、パートナーが「こうだ!」と言っても「No!」ということがあるのですが、私が「No!」と言っている根拠は感覚的なものや生理的なものである場合が多い。

それでこれまた写真に置き換えると、「写真コンテスト」というのがある。

私は自慢ではないが一度も入選したことはない。でも、ある日「審査員」と称する人の話を聞く機会があって聴きに行ったのだが、こいつ(誰とは言わないが、某メーカーの某有名コンテストの審査員)がものすごい「アホ」だった。それっぽいことを言ってはいるが中身はなく、使う言葉も軽薄だった。とにかく言葉が「軽い」のです。

そしてそもそもが胡散臭い。

そのときに思ったのは「こいつらの好き嫌いで選ばれるのはイヤだ」と思ったんです。

そもそもなぜその人が審査員をしているかも分からないし、その審査員を選んだ人(主催企業のサラリーマン)が何を基準に選んでいるのかも分からない。ただ、間違いなく言えるのはそれぞれの「好き嫌い」で選んでいるということ。好き嫌いとはすなわち「心」です。

人の「心」に依存するなら突き詰めて考えるよりは「概ね正しいくらい」が丁度良いのでは?と思っている。

「答え」を求めて日々試行錯誤することを否定はしないですが、前述した通りそこに固執し、一応の「答え」があったとしてもそんなのは「その場しのぎの安心」でしか無い。

そして自己啓発本を読み漁る人たちというのはこの辺の本質を理解していないように思うし、「どうしたらカメラマンになれますか?」みたいな質問をする人も同様。

 

 

 

 

 

 

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