「不惑の四十」についての解釈。

先日の日曜日に、久しぶりに友人のヨッシーと呑んだ。

ヨッシーとはなぜか年に二回ほど二人きりで呑むのがここのところの恒例になっている。私はさておきヨッシーは従業員300人規模の会社の社長さんなのでその忙しさは尋常ではなく、会う度にお互い年齢と共に責任が増えるというか、互いの状況は変わっている。

それでいろいろ話していて「不惑の四十」の話になった。

ヨッシーは38歳で私が41歳。そこで私が言ったのは;

「『四十にして迷わず』というのは何かを悟わけではなく、単に選択肢が無いから迷わなくなるだけ。」

ということ。

あくまで私の個人的な解釈なのだけど、別に40歳になって何かを悟なんてことはなく、一方、正直なところ今も昔も「40歳」というのは悲しいことにあらゆる可能性が減っている年齢ということである。

そこで前述した「選択肢がないから迷わない」ということ。

それだけのことだと思っている。

可能性や選択肢があるから人間は迷うのであって、そうした可能性や選択肢が無ければ迷いようがない。それを「不惑の四十」なんて言うから何やら「悟りの境地に達する年齢」のように解釈されているようだが、それは違う、と。

いささか悲観的な解釈に思われるかも知れないが、恐らくこれは揺るぎない事実でもある。

逆に、選択肢が無いので考え方はシンプルになり、物事に集中しやすくなるというメリットはある。

なので意外と20代や30代のときとくらべて「迷うことがない」ので精神的には心地良かったりする。

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