「好きなこと」は努力が苦にならないこと。

先日の週末は、多摩ヒルズという米軍の保養施設で過ごしておりました。

基本的に「休み」という概念の無い商売をしていますと、「今日は休もう」と決めたところで100%脳みそがオフになることなんてことはなく、やはり仕事のをことを考えているわけです。なのでこうした世俗から隔離されたところで過ごすというのは悪くないのですが、それでも30%くらいは仕事のことを考えたり、実際に仕事をしていたりするのです。

ただ、そうは言っても朝からビールを飲んだり、ゴルフカートで森の中を走ったり、アメリカンな料理を堪能し、お腹がパンパンになってくるころからいろいろと普段考えないようなことを考えてみたりもします。

それでいろいろ考えてみた中で「好きなこと」とは何だろう?ということも考えておりました。

よく、「好きなことをやっているから食えなくても良い」とか「貧しくても好きなことやっているから幸せ」という話を聞きますが、それってどうなの?ということです。

端的に言ってしまうと誰しも「好きなことだけやって食えているわけではない」のは確かだけど、まず「好きなことで食おうという努力」をしてない人の方が多いのでは?という仮説にたどり着きました。

一方、不本意な仕事をしていても努力している人というのは星の数ほどいますので、一概に「好きではないからと言って努力していない」わけでもないのです。

一番不幸なのは「不本意な仕事だから努力しない人」なんですが、こういう人は除外して考えることにした。

それで「好きなことで食う」というのは結局のところ努力が苦にならないことで、不本意な仕事でも努力しているならばそれはその人にとって「好きなこと」とも言えるわけですな。

例えば「写真」で言うと自分の写真が「売れたらいいな」と思っている人は世の中に一千万人くらいいるわけですが、実際に「売る努力」をしている人と言うのは0.0001%もいるかいないかなのが実情だと思いますのでそれ以外の人にとって「自分の写真を売ること」というのは「好きなこと」ではないということになります。

「売れたらいいな」では物なんて売れません。

あと、「写真を撮るのが好き」という人もいますが、写真というかカメラなんぞはシャッター押せば誰でも撮れるので、極めてイージーなメディアです。正直なところ誰でも撮れるのです、カメラなんだから。

実際のところ撮影業務の中で「撮る作業」というのは全体の10%にも満たない部分であって他の90%以上の部分は撮る作業のための段取りやクライアントとの意思疎通だったりするのですが、そこの90%に対しての努力ができない人は厳密に言うと「好き」ではないのです。

さて、それでこういう話をすると「家族がいるから仕方ない」とか「食うためだからそんなこと一概に言えない」というありきたりな主張をされる方がいらっしゃるのですが、私としては「ああ、そうですね」としか答えようがない。

だって、好きなことをやって家族養って(時には愛人囲っている人もいますから)、高級車乗り回している人なんてわんさかいるので前述の主張は議論する上での説得力と言いますか、根拠がペラペラ過ぎて私も何をどう話して良いのか分からないからです。

趣味でも仕事でも、辛いことがあってもそれを克服しようとする意識があるものについては「好きなこと」なんだろうと思います。「いまやっていることが努力なのかが分からない」という人はそれに使っている時間の「量」で判断しても良いと思う。使っている時間が長ければ生きている中の「時間の使い方の優先順位」が高いということだろうから、やはりそれも「好きなこと(もしくは「嫌いではない」)」と言えるんじゃなかろうかね。

そう考えるとけっこうみんな「好きなことやってんじゃないの?」と思いました。

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今思うと久しぶりにリゾート気分を堪能してきた割にはくだらないことを考えていたんだな、と反省(笑)

 

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